2017年12月30日、スポーツ界の一年を締めくくる年末恒例のビッグレース、KEIRINグランプリが快晴の平塚競輪場で行われた。その年のG1レース優勝者、獲得賞金上位者からなるトップ9選手による1億円の優勝賞金をかけた争いは今年も超満員の観客を熱狂させた。レースは、逃げた深谷知広を目標にした浅井康太がホーム直線で抜け出して優勝、2度目のグランプリ覇者となった。
武田豊樹はゴール目前で浅井を猛追するも僅かに届かず2着。2年連続でグランプリ2位という結果を残した。2014年グランプリ優勝をはじめ数々のG1タイトルを獲得してきた武田にして今回の結果をどう見るのかは専門家やファンの評価に譲るが、ここに至る4か月間の彼の苦闘、努力、そして成し得たことについては驚愕、称賛以外の言葉が見つからない。
さかのぼること4か月前。2017年8月14日、いわき平競輪場で行われたG1 オールスター競輪の準決勝、武田は発生した接触、落車事故に巻き込まれて選手生命を脅かす大怪我を負った。直後に診察した専門医での診断は全治半年の骨盤骨折。年齢を考えれば現役続行の可否に関わる重傷と言えた。
この時点での心の葛藤について武田本人以外は知る由もない。しかし、時をおかずに彼が起こした行動から見えたのは復帰への最短経路を模索する超戦略的思考。直感も含めてよいと信じられるものには先入観を捨てて果敢にチャレンジをした。
都内の治療家、斉藤光久氏(世田谷区・東光堂治療院)。長嶋監督時代の読売ジャイアンツで10年間、一軍トレーナーとして多くの選手のリハビリに関わったプロフェッショナルも武田の強靭な意志に共感した。目標は10月6日開幕のG1シリーズでのレース復帰。常識では到底あり得ない話だ。武田は8月18日には、動かない右脚を引きずりながら懸命のリハビリを開始した。常識への挑戦。それは想像を絶する光景だ。
そしてワットバイク。武田が知り尽くしたトレーニングツールも片足ではトレーニングにならない。しかしできることはある。そう考えた。
大怪我から僅か10日後の8月24日に乗り始めた。トッププロ、武田がTrainer(モデル)を真剣に漕ぐ。しかし右脚は出力しない。Polar Viewが示す客観事実は残酷だ。
(8月25日のセッションデータから抜粋)
それでも続ける。真摯に愚直に。
日を追うごとにPolar Viewの形状に変化が見られ始めた。一進一退。それでも少しずつ、少しずつ、円の右側が膨らんできた。武田の体のことは本人にしか分からない。しかしPolar View分析を通して回復の進捗を客観的に把握していくことができた。そこで見るPolar Viewには武田の執念と魂が宿っているようにさえ思えた。
自転車での実走練習も常識外のプランで進められていた。
10月6日、武田はグリーンドーム前橋でG1レースの舞台に立っていた。
6着、7着、5着、それは明らかに武田本来の成績ではない。しかし、まだ歩行すら完全ではない選手がその時点で見せた確かな成果に見えた。そして最終日、決勝レースではないものの1着を獲った。
レース復帰後、10月、11月と苦難の時を経て手負いの武田はついにグランプリ出場権を獲得した。驚き。率直にその感情しか湧かない。しかし、これは事実だ。トレーニングをサポートする側としてすべきことは一つ。グランプリに向けて最善のサポートをしていきたい。
12月に入り、体はだいぶ回復してきたように見えた。Polar Viewの形はこの4年半のサポートで見慣れていた「武田の形」が戻ってきた。これは両脚の出力バランスが戻ってきたことを意味する。そして、パワー出力も徐々に良いときの数値に戻ってきた。
(グランプリ前、ショートスプリントのセッションデータから抜粋)
12月30日 KEIRINグランプリ2017。武田本人は結果に満足しなかっただろう。しかし、成し得たことには大きな意義がある。あまりにも強い意志、執念、努力を目の当たりにするとどんな言葉も陳腐になる。常識とは何だろう。それを上回る意志があれば常識は常識でなくなってしまうのか。そんな感慨にふける暇もないかのように、武田豊樹のまた新たな戦いが1月11日、和歌山競輪場で始まる。
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